江戸末期の漆芸家で、讃岐漆芸の祖として知られる玉楮象谷(たまかじぞうこく)(1806~69年)の直筆の画帖(がじょう)(スケッチ)が、初めて見つかっていたことが14日分かった。幕末に流行した山水画が複数描かれおり、象谷が流行を学ぼうとしたことがうかがえる資料。画帖の木箱には蒟醤(きんま)の人間国宝・磯井如真(83~1964年、高松市出身)が、象谷の遺稿であることを示した記述がある。県美術コーディネーターの住谷晃一郎さん(65)は「象谷の直筆の画帖が見つかるのは初めて。約170年の時を経た発見で、細やかな筆致が見られる貴重な資料」としている。


玉楮象谷の直筆のスケッチ「図稿 玩翠」の一部


 住谷さんによると、画帖「図稿(ずこう) 玩翠(がんすい)」は1849(嘉永2)年の制作。折り本形式(折り畳んだ状態で縦13センチ、横6センチ、厚さ1・1センチ)で2冊あり、四季折々の山水画が墨で描かれている。末尾には画題らしい題字などが列記され、軸作品も手掛けた象谷が制作の資料としても使ったとみられる。

 表紙に象谷の屋号「紅花緑葉堂(こうかりょくようどう)」が記されていることや、如真による「貴重なる先生を知るに足る資料なり」との箱書きがあることなどから本物と断定した。象谷の拓本集「法図控(ほうずひかえ) 紅花緑葉堂」にある記述から、当時流行した山水画が収録された画帖を京都東本願寺の学僧に見せてもらい、備忘録としてスケッチしたものと推測できるという。


「貴重なる先生を知るに足る資料なり」との磯井如真の記述が見られる木箱


 住谷さんは「細部にわたって見事な筆致。象谷が得意とした細かい文字の書き込みや着色の巧みさが見られ、特に構図の作り方は漆芸作品にも生かされた可能性がある」と話している。

 画帖は高松市在住の漆芸家・伊賀寛泰さん(76)の父親が戦後購入し、伊賀家で保管していた。今月、寛泰さんが自身の作品と一緒に画帖を県漆芸研究所に寄贈する際、鑑定によって象谷の直筆であることが判明した。箱書きは漆芸家だった父親が如真に依頼したという。

 画帖は、15日から県文化会館(同市番町)で開かれる漆芸の「伊賀寛泰展」で展示される。

 玉楮象谷 1806(文化3)年、高松藩で生まれた。江戸時代後半に漆芸の主流だった蒔絵(まきえ)とは異なる表現を求め、中国や東南アジアの技法に着目。独自に研究を重ね、香川漆芸3技法の彫漆(ちょうしつ)、存清(ぞんせい)、蒟醤を確立させた。

(四国新聞・2021/01/15掲載)

伊賀寛泰展


所在地 香川県文化会館1階 香川漆芸ホール
高松市番町一丁目10番39号
開催期間 令和3年1月15日(金曜日)~2月14日(日曜日)会期中無休
開催時間 9:00~17:00
入場料 無料
TEL 087-831-1814


関連情報