木下大サーカス高松公演(四国新聞社主催、西日本放送共催)が、香川県高松市香西本町のイオンモール高松特設会場で開催されている。四国新聞創刊130周年記念事業の一環で、県内公演は8年ぶり。赤テントで感動、興奮、笑顔を提供する一大エンターテインメント集団にとって、実は香川は特別な場所。世界三大サーカスと呼ばれるゆえんや赤テントに込めた思いなど木下大サーカスの魅力、歴史、香川との縁を紹介する。

世界三大サーカスの一つ

 国内外で数多くの観客を魅了し続けている木下大サーカス。年間動員数は約120万人で、創立以来1億人以上が足を運んだ。1960年代後半には、米国のリングリングサーカス、ロシアのボリショイサーカスと動員数で肩を並べ“世界三大サーカス”となり、現在もトップレベルのパフォーマンスを披露している。

「情熱の赤」こだわりも

 木下大サーカスの象徴といえば「赤テント」。元々はプレハブのように丸太小屋を組み上げていたが、西洋サーカスに習って1954年からテントを採用した。

 いつから赤色になったのかは定かではないが、木下社長は「情熱の赤」として色へのこだわりは強い。また、入り口の大きなトラの看板は過去にトラが出演していた名残という。


高松公演初日の木下大サーカス。開演前には赤テントを囲むように長い列ができた=香川県高松市香西本町

高松公演初日の木下大サーカス。開演前には赤テントを囲むように長い列ができた=香川県高松市香西本町


初代は丸亀出身

 木下大サーカスは現存する国内最古のサーカス団。そのルーツは1902年に中国・大連で旗揚げした「曲馬団」で、初代社長の木下唯助さんは丸亀市出身だ。

 唯助さんは、丸亀創業の矢野動物園で働いていたところ、岡山で芝居小屋を経営していた木下藤十郎さんに見込まれて婿養子となり、曲馬団を設立した。香川ゆかりの矢野サーカスの生みの親でもある矢野庄太郎さんの兄でもある。


初代社長の唯助さん(1911年)

初代社長の唯助さん(1911年)


かつては神社でも

 現在は年間、国内4~5カ所で公演。海外でも50年のハワイを皮切りにタイ、シンガポールなどで計12回開催しており、国際親善の民間使節としての役割も果たしてきた。

 「木下サーカス生誕100年史」などによると、県内での公演数は、開催場所が明確な1985年以降で、今回を含め6回。木下唯志社長は「祖父唯助との関係もあるので、旗揚げからの公演回数は、国内でも有数だろう」と話す。70年には高松市の石清尾八幡宮御旅所でも開催している。

猛獣ショーいち早く

 看板演目の一つが「猛獣ショー」。木下大サーカスは早くから動物の曲芸に着目し、大正時代にはクマが針金を渡るパフォーマンスを行っていた。過去にはハイエナやキリン、ラクダなども出演。カンガルーと人がボクシングをするユニークな曲芸も披露していた。

 世界でも珍しいホワイトライオンのショーを始めたのは2010年から。高松公演ではホワイトライオン、ライオン各4頭によるパフォーマンスが見られる。


高松公演ではホワイトライオンのほか、ライオン、ゾウ、シマウマも出演している=香川県高松市香西本町

高松公演ではホワイトライオンのほか、ライオン、ゾウ、シマウマも出演している=香川県高松市香西本町


10カ国から17人パフォーマー参加

 ショーを盛り上げる外国人アーティストは現在、英国、米国、ブルガリア、ポルトガルなど10カ国の17人。猛獣使いやピエロ、イリュージョニスト、空中大車輪のパフォーマーなど多彩な顔ぶれが観客を沸かせている。

 サーカスは西洋のイメージが強いが、木下大サーカスでは「坂綱」や「葛の葉」といった日本の伝統曲芸も披露する。どちらも難易度の高い技で、一時は演目から消えた時期もあったが、2000年代に入り復活した。「伝統を残しつつ、時代に合ったパフォーマンスも取り入れて観客を楽しませたい」。国内最古のサーカス団ならではの熱い思いが込められている。


和傘でバランスを取りながら綱を上る「坂綱」

和傘でバランスを取りながら綱を上る「坂綱」


(2019/10/12)


木下大サーカス 公式HP

木下大サーカス 高松公演


開催地 イオンモール高松 特設会場(香川県高松市香西本町1-1)
公演日 10/6~12/8
休演日 木曜日、10/23、11/6、11/20
TEL 087-832-0045(木下大サーカス高松公演事務局)


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