「埋蔵文化財」というと難しく聞こえるが、要は地面の下にある歴史的遺物のこと。広い高松市内の発掘調査から保存・公開までを手がける「高松市埋蔵文化財センター」を訪ねた。


巨大な銅鐸の破片(手前)などがすぐ近くで見られる

巨大な銅鐸の破片(手前)などがすぐ近くで見られる


 場所は2012年に「四番丁スクエア」として生まれ変わった、高松市番町の四番丁小学校跡地。1階に管理室と遺物洗浄・接合室、2階に展示室や実測室、3階には収蔵室などを備え、市内の発掘調査で出た資料を管理している。
 一般公開されている展示室では企画展「幻の国宝 美しき桜御門」と、開所10周年記念展「高松のまいぶん王」を開催していた。
 目立つのは、16年に高松市松縄町の「天満(てんま)・宮西遺跡」から出土した弥生時代の大型銅鐸(どうたく)片。割れた破片だが、約50×約35センチもの大きさがあり、実際の高さは1・2メートル程度と推定されるそうだ。展示ケースごしに目を凝らすと、曲線が描いてあるのが見える。水鳥の絵かと思ったが、シカの一部の可能性もあるそうで、絵の描かれた銅鐸では全国で最も新しいという。こんなにも珍しい遺物が身近な場所に保管されているとは知らなかった。
 高松市仏生山町の「みんなの病院」の建設に伴う発掘調査で見つかった金の耳環(イヤリング)1対も展示されている。ここは深い溝で囲った古墳時代の集落跡(萩前(はぎのまえ)・一本木(いっぽんぎ)遺跡)で、普通は古墳の副葬品として出るような金製品のほか、鍛冶に関連する遺物や作りかけの玉(ぎょく)類製品も出たそうだ。つやが保たれたイヤリングを見ていると、玉造や鍛冶の技術を持った人々がどこから来て、どのように暮らしていたのか、想像が膨らむ。


オフィス街の真ん中に復元された「亀井戸」。周辺に勤める人の憩いの場所にもなっている

オフィス街の真ん中に復元された「亀井戸」。周辺に勤める人の憩いの場所にもなっている


 外に出ると周囲のビル群を背景に、中心市街地の再開発に伴って発掘調査された「亀井戸」が移築・復元されている。これは現在の丸亀町グリーンの西側にあった井戸の遺跡で、湧水を水源に、300年にもわたって高松城下に水を送った上水施設だ。石材はなるべく、出土したものをその位置で使っているという。実際の大きさから「たったこれだけの水を大切に分け合っていたのか」と感心する人や、「こんな大規模なものを作る技術があったのか」と驚く人もいるだろう。
 高松市の山元敏裕文化財調査係長は「現代の暮らしのすぐ下に、さまざまな時代の遺跡が眠っている。高松という土地を知るために、昔の人々の暮らしを知ることは欠かせません」と話す。
 2月5日には四番丁スクエアなどを会場に開かれる「新春子どもフェスティバル」(同実行委主催)に、普段は平日のみの「銅鐸の鋳造体験」のコーナーが出る。めったに手にできない「マイ銅鐸」を作ってみるのも面白そうだ。

(四国新聞・2023/1/14掲載)



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