香川県東かがわ市引田地区北部から播磨灘に突き出た城山(標高82メートル)の山頂に位置する引田城跡。戦国時代には、土佐の長宗我部氏による讃岐侵攻の際、重要な軍事拠点となっていた。現在も石垣などが良好な状態で残されていると聞き、歴史を読み解く旅に出かけた。


天守台跡付近からは瀬戸内海や讃岐山脈などが望める=東かがわ市引田


 同城跡は、戦国時代末期から江戸時代初期(16世紀末~17世紀初期)の城郭。1587(天正15)年には、豊臣秀吉の家臣である生駒親正が讃岐に入った際に入城し、高松城、丸亀城と共に生駒氏による領国支配の拠点となった。その後、寛永年間(1624~44年)には廃城になったとされ、その詳細な経緯は明らかになっていない。
 城はその歴史的価値の高さから2017年に日本城郭協会(東京)の「続日本100名城」に選ばれ、20年には城跡が国史跡に指定された。市歴史民俗資料館の萩野憲司館長によると、少なくとも年間3千人以上が県内外から見学に訪れているという。
 引田港側にある登山口駐車場に車を止め、萩野館長の案内で城跡を目指して出発。10分ほどで早速、本丸の石垣が見えてきた。大小さまざまな自然石の隙間に間詰(まづめ)石が配置された野面積みという積み方で、同城で最初に築かれた石垣と考えられている。
 さらに歩を進めると視界が開け、天守台跡付近に到着。瀬戸内海や讃岐山脈が一望でき、城主の権力を示すような爽快な情景が広がっていた。天候に恵まれれば、淡路島も望めるそうだ。
 景色を見て一息ついた後、城のお姫様が化粧をする時に使っていたと言われる貯水池「化粧池」などを見ながら起伏のある山道を進むと、石垣が最もよく残る北二の丸が見えてきた。
 北二の丸の石垣は高さ約2~3メートルの上段と5~6メートルの下段に分かれている。萩野館長によると、当時の技術では1段で高い石垣を築くのが難しかったため、2段に積んで高く見せるよう工夫されているという。石垣の高さにより、城の訪問者に権威をアピールする意図もあるそうだ。下段は間詰石が本丸よりも丁寧に敷き詰められており、技術の差が垣間見える。この北二の丸で行われた発掘調査では、建物跡や多くの瓦が出土した。


北二の丸の石垣の下段は間詰石が丁寧に敷き詰められている


 城跡と併せて、城下町のたたずまいを残す麓の町並みも必見。江戸時代の商家など国登録有形文化財の建物の数々などから、近畿と四国を結ぶ東讃随一の商港として栄えていた面影を感じることができる。
 東かがわ市生涯学習課では、ボランティアガイドの案内で城跡を巡るハイキングの予約を受け付けている。希望日の2週間前までに同課に申し込む。無料。動きやすい服装で、暑さ対策を忘れずに。

(四国新聞・2023/07/22掲載)



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