高松市のシンボル・屋島は戦と縁深い。源平合戦はあまりに有名だが、500年ほどさかのぼると、日本書紀にも記述が残る朝鮮式山城・屋嶋城(やしまのき)が歴史上に登場する。これは、白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷が防衛のために築いたとされている。


幕末期に砲台が備え付けられていた長崎ノ鼻=高松市屋島西町


 今回紹介する長崎ノ鼻もそう。男木、女木など瀬戸内の島々などが楽しめる風光明媚(めいび)な岬には幕末期、異国の脅威に備えるための砲台があった。整備するきっかけはペリー来航。砲台は南の丘から海に向かって上・中・下の三段構造で、上段は守備兵の屯所、中・下段に大砲がそれぞれ3門ずつ備え付けられていた。

 150年余を経た今も砲台跡は当時の面影を伝えているが、ここ数年は訪れるたびに土台や石垣が崩れているのが気になっている。

 海に囲まれた日本。見晴らしが良い岬などは防御の拠点だった。ここは、各時代に生きた先人の憂いが感じられる場所でもある。

四国新聞(2019/09/15掲載)



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