香川県さぬき市志度出身の江戸期の奇才・平賀源内(1728~79年)の古里としてさらにPRを図ろうと、市は地元のまちおこしグループと共同で、源内の生家などがある源内通りの17カ所に、源内にまつわる看板を設置した。看板はエレキテルの復元など幅広い分野で活躍した源内の足跡が分かる内容となっており、ガイドがいなくてもまち歩きを楽しみながら郷土の偉人について理解を深められる仕掛けとなっている。


源内通りに設置されている平賀源内にまつわる看板=さぬき市志度


 看板の設置は、源内のような斬新な発想で地域を盛り上げようと、市が官民共働で取り組む「源内の改革プロジェクト」の一環。最終年の昨年度、プロジェクトの懇談会で、源内通りに生家の「平賀源内旧邸」や平賀源内記念館はあるが、ほかに源内を感じさせるものが少ないとの意見を受け、制作することにした。

 制作は、まちおこしグループ「志度まちぶら探検隊」(山西就治代表)が中心となって取り組んだ。源内に関する資料を展示する平賀源内記念館の協力を得て盛り込む内容などを決め、旧邸周辺から志度寺まで続く延長約1・2キロの源内通り沿いに21日までに設置した。

 看板は、源内通りを西から東に巡る順路でまち歩きしてもらうことを想定して配置。1カ所目の米蔵跡を示す石灯籠に設置された看板では、源内は曽祖父の代からこの地域で収穫された米を管理する蔵番の家系に生まれたことを紹介。旧邸横に設置されたものでは、天神様にお酒を供えると顔が赤くなる、からくり掛け軸「お神酒天神」を11歳で作り、大人たちを驚かせたエピソードを取り上げている。

 このほか、エレキテルの復元は長崎から持ち帰って7年かかったことや、焼き物「源内焼」を考案し、俳諧、絵画でも活躍したことなど源内の多才ぶりを紹介。最終17カ所目となる志度寺すぐ近くに位置する自性院常楽寺の看板では、ここに源内の墓があることが分かる内容となっている。

 看板には説明文と絵のほか、QRコードが付いており、読み込めば源内についてのさらに詳しい情報が得られる。志度まちぶら探検隊の山西代表は「看板をたどると源内さんの一生が大まかに分かる。看板を頼りに源内さんの古里、志度のまちを巡ってもらえたら」と話している。

(四国新聞・2020/08/24掲載)


平賀源内記念館


志度まちぶら探検隊


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