香川県高松市牟礼町の遍路宿「高柳旅館」の屋根裏で、納め札が入った俵が見つかった。お遍路さんから接待のお礼としてもらった札で、旅館の4代目高橋秀信さん(73)が中身の一部を確認したところ、江戸時代末期の札が入っていたことが判明。俵全体では、2千~2500枚ほどが入っているとみられる。高橋さんは「納め札を屋根裏につるすのは家内安全を願ってと聞く。先祖から受け継がれたもので、大事にしたい」と話している。


旅館の屋根裏で見つかった弓矢がくくりつけられた俵=香川県高松市牟礼町


 遍路道近くの家々ではかつて、お遍路さんからもらった納め札を米俵に入れ、屋根裏などにつるしてお守りにする「俵札」の風習があった。四国遍路文化を発信する「おへんろ交流サロン」(さぬき市)によると、同様の俵が見つかるのは県内で8例目。
 高柳旅館は、85番札所・八栗寺近くにあり、江戸時代には、農家だった高橋さんの先祖が自宅でお遍路さんを接待していたという。俵が見つかった建物は1924年に建てられたもので、昨年11月から改修工事にかかったところ、屋根裏のはりにつるされた状態の俵が発見された。


旅館の屋根裏で見つかった俵と、中に入っていた納め札を確認する高橋さん=香川県高松市牟礼町


 俵は長さ50センチ、直径21・5センチ。16日に同サロンの片桐孝浩館長の立ち会いの下、30枚ほどを抜き出して中身を確認した。ほとんどが1864、65年のもので、「奉納四国八拾八ケ所中霊場同行弐人」など、現在の納め札とほぼ同じ文言が書かれていた。
 名前や住所も記されており、「西讃州大之原」(現在の観音寺市大野原町)と書かれた札が4枚あったほか、「大坂」「イヨ松山」「備中」など県外から訪れたお遍路さんのものと思われる札も含まれていた。
 また、俵には長さ約60センチの矢がくくりつけられており、「源平屋島合戦で扇の的を射抜いた弓の名手・那須与一にちなんだものの可能性がある」と片桐館長。
 旅館はリフォーム後、5月から営業を再開する予定で、俵はクリアケースに入れて展示する。残りの札について高橋さんは「専門家の協力を得ながら解読していきたい」と話している。

(四国新聞・2023/02/21掲載)



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