粟島(香川県三豊市詫間町)の中新田地区に神社がある。名称は馬城(まき)八幡神社。ここの鳥居は本殿から約150メートル離れた浜辺の波打ち際に立ち、基礎部分は満潮になると海水につかりそうになる珍しい姿を今に伝えている。約300年にわたって島の栄枯盛衰を見つめてきた鳥居に興味を覚え、定期船に飛び乗った。


浜辺に立つ馬城八幡神社の鳥居。満潮時は基礎部分の黒ずんでいる辺りまで波が打ち寄せるという=粟島

浜辺に立つ馬城八幡神社の鳥居。満潮時は基礎部分の黒ずんでいる辺りまで波が打ち寄せるという=粟島


 三豊市市詫間町の須田港から約15分で粟島港に到着。神社の総代を務める中西敏文さん(80)の案内の下、東へ15分ほど歩くと馬城海岸の中央付近に石造りの鳥居が見えてきた。
 史料集「詫間町の文化財第4集」(昭和50年版)などによると、「馬城」という地名は大化の改新後の7世紀、詫間町が天領だったことから兵馬を飼育する「詫馬牧」を粟島に指定したのが由来。同神社の創建年は不明だが、1483(文明15)年に修理造営と記されている。全国の八幡神社の祭神として知られる応神天皇や仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后をまつり、粟島の氏神様として古くから親しまれてきたそうだ。


雑木に囲まれた馬城八幡神社の境内。経年劣化などにより立ち入りは禁止されている

雑木に囲まれた馬城八幡神社の境内。経年劣化などにより立ち入りは禁止されている


 神社は経年劣化などのため立ち入ることはできないが、参道は砂浜まで真っすぐに続いている。中西さんは「50年ほど前はここに樹齢数百年の美しい松林が一帯に広がっていたが、松くい虫の影響でほぼ全滅。白砂青松を来島者に見せたかった」と振り返る。
 3月下旬に訪れたため、馬城海岸へ向かう途中にはソメイヨシノが咲き始めていた。淡いピンク色の花びらが鳥居の白さと競演しているようで思わずカメラを構えた。潮が満ちてくると鳥居には基礎近くまで海水が上がってくるため、印象が変化する。潮が満ち始めた頃、海側に面した鳥居の土台が階段状になっていることに気付いた。
 町の史料によると、鳥居は1731(享保16)年に寄進されたとされる。粟島は江戸時代から北前船の寄港地として海運業で栄えたことから、「船をここに横着けしてすぐに参道へ行くためなのでは」と中西さん。海水で身を清めてから参拝するためという説もあり、かつて住民らは干潮時に現れる岩にたまった塩水で手を洗っていたという。
 約40年前までは同神社の秋季例大祭が行われ、旧国立粟島海員学校(1987年閉校)の学生たちもみこしを担ぎに来てにぎやかだったが、子どもたちが少なくなって旧粟島中学校が閉校すると大祭もしなくなったという。過疎化によって失われてしまいつつある景観や伝統について、考えさせられた春の一日だった。

(四国新聞・2023/04/08掲載)



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