香川県三豊市仁尾町の古い町並みを歩くと、注連( しめ )石の特徴的な神社がある。この賀茂神社は、京都にある上賀茂神社の祭神「別雷大神(わけいかづちのおおかみ)」の分霊を祭っている。海から引き上げたという注連石は、伊勢(三重県)にある二見浦の夫婦岩を思わせるような厳かな雰囲気。海運で栄えた仁尾の町とともに歩み、人々を見守り続けてきた神社に足を運んでみた。


ひときわ存在感を放つ注連石

ひときわ存在感を放つ注連石


 1084(応徳元)年、白河天皇の勅使を得て京都の賀茂社の神職が京都で神事に関与していた5人とその家族を引き連れ、鴨之越(同市詫間町)に寄港。翌日には蔦島に到着し、島に分霊を奉祭した。仁尾の人々は観応の擾乱(じょうらん)(1349~52年)で管領の細川顕氏の水軍に加わり活躍し、その戦功によって神社は蔦島から現在の場所に遷宮された。


境内のあちこちに京都の上賀茂神社、下鴨神社と同じ双葉葵が

境内のあちこちに京都の上賀茂神社、下鴨神社と同じ双葉葵が


 今回案内をしてくれた宮司の原正圀さん(79)はその神職の子孫で、51代目という。神職とともに仁尾にやってきた5人は「五苗(ごみょう)」といい、塩田、吉田、河田、鴨田、倉本の5家。世話人の年寄を務める倉本一利さん(71)の家も代々神社に奉仕してきた。

 仁尾の町の歴史と、賀茂神社の歴史は深い関わりがある。仁尾の人々には海上交通の特権が与えられ、町は海運によって栄えた。境内には細川頼元によって神宮寺も創建され、その別当はすぐ近くの覚城院が担った。

 不思議な形をした注連石は、明治時代に鴨之越の入り江にあったものを運び、建立したもの。「陸の夫婦岩」とも呼ばれ、人々を引きつけてきた。また、境内には京都の下鴨神社、上賀茂神社と同じ双葉葵(ふたばあおい)の紋が所々に描かれているので、こちらも注目して見てほしい。

 拝殿の左手にあるのは、長床神事のときに使われる建物。神事は秋祭りと一体になっており、神霊は本殿から簡易なみこしに乗って近くの神社まで運ばれ、その後「お船」に乗って町を練り歩く。原さんは「ここのお祭りは1カ月も前から神事が始まる。こんなに丁寧にやるお祭りも珍しいのでは」と誇らしげに語ってくれた。


毎年10月の第2日曜日に行われる長床神事で使われる建物=いずれも三豊市仁尾町、賀茂神社

毎年10月の第2日曜日に行われる長床神事で使われる建物=いずれも三豊市仁尾町、賀茂神社


(四国新聞・2019/07/16掲載)

賀茂神社


所在地 香川県三豊市仁尾町仁尾丁1046


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