香川県土庄町で最晩年を過ごした漂泊の自由律俳人、尾崎放哉(1885~1926年)の「朱」が入った俳句原稿などの資料42点が、同町の小豆島尾崎放哉記念館に寄贈され、そのうち約20点のコピーが30日まで同記念館で特別展示されている。九州の俳句雑誌「裸」から選評の依頼を受けた放哉が優秀な句に丸印を付けたり、心を動かされた力作などには一言を添えるなどしている。放哉研究者は「放哉が他人の句を添削するのは珍しい。その跡がはっきりと残っている原稿は貴重」としている。


金平二火の俳句を尾崎放哉が添削した原稿用紙。放哉が他者の作品にアドバイスした資料は、非常に珍しいという

金平二火の俳句を尾崎放哉が添削した原稿用紙。放哉が他者の作品にアドバイスした資料は、非常に珍しいという


 寄贈したのは兵庫県西宮市の自由律俳人、藤田踏青(とせい)(本名・俊一)さん(74)。俳句雑誌「層雲」の先輩で「裸」にも投稿していた俳人・金平二火(にか)(本名・淡之助、1900~80年)の没後、家族から放哉の添削原稿などが入った資料を受け取り、内容を精査していた。放哉関係の資料が散逸しないよう今年5月、日本放哉学会や同町の「放哉」南郷(みなんご)庵友の会などを通じ、記念館への寄贈を申し出ていた。


港教育長(左)に尾崎放哉が添削した跡のある俳句原稿を手渡す岡田会長=土庄町、小豆島尾崎放哉記念館

港教育長(左)に尾崎放哉が添削した跡のある俳句原稿を手渡す岡田会長=土庄町、小豆島尾崎放哉記念館


 8月21日に記念館であった贈呈式には、友の会の岡田好平会長や記念館の館長を務める港育広教育長ら約10人が出席。岡田会長が「後世に伝えていくべき貴重な資料。研究にも役立ててほしい」とあいさつ。港教育長は「有意義に活用していく」と応じた。
 注目度が高いのは、金平が記した句について、放哉が選句したり、課題や長所などを朱色の文字で書き込んだりしているB5判の原稿用紙。同学会の副会長を務める森克允(かつまさ)さん(80)=同町=は「放哉が入庵した直後の25年秋ごろのこと。生活のためでもあったのだろうが、放哉がここまで丁寧に添削をしているものを見たことがない」と資料の重要性を指摘している。
 このほか、俳句雑誌の代表者からの選句の依頼や、それを快諾した際のやりとりを記したはがきなどもコピーが展示されている。
 記念館への入場は、中学生以上220円、小学生110円。水曜休館。問い合わせは同館〈0879(62)0037〉(午前9時~午後5時)。

(四国新聞・2023/09/03掲載)


小豆島 尾崎放哉記念館



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