2千年前の銅鐸(どうたく)、約90年ぶりに帰還―。鎌田共済会郷土博物館(香川県坂出市本町、大山真充館長)は28日、昭和初期から所在不明になっていた同館所有の青銅器「内間(うちま)銅鐸」が返還されたと発表した。東京国立博物館が、来歴不明の文化財として保管していた。同郷土博物館は「これほどよい状態で戻ってくるのは希有(けう)な例。県民の共有財産でもあり、今後、調査・研究を進めていきたい」としている。


約90年ぶりに返還された「内間銅鐸」=香川県坂出市本町、鎌田共済会郷土博物館

約90年ぶりに返還された「内間銅鐸」=香川県坂出市本町、鎌田共済会郷土博物館


 同館によると内間銅鐸は、上部の「鈕(ちゅう)」と呼ばれる部分の形状などから、約2千年前の弥生時代中期ごろのものとみられる。高さ29・7センチ、幅は最も長いところで15・7センチ、重さ1019グラムと、県内出土品では最小級。胴体部分の「身」には、当時のものによく描かれた斜格子文を縦と横に帯状に交差させて4区画に分割した「袈裟襷文(けさだすきもん)」が施されている。


内間銅鐸の「身」は、縦横に描かれた斜格子文を直交させて4分割した「袈裟襷文(けさだすきもん)」があしらわれている

内間銅鐸の「身」は、縦横に描かれた斜格子文を直交させて4分割した「袈裟襷文(けさだすきもん)」があしらわれている


 銅鐸は1926(大正15)年、綾川町陶の内間地区の畑で作業をしていた大川筆次さんが発見し、30(昭和5)年に同館へ寄贈した。当時の職員が拓本や発見状況記録を作成、翌31年には後に京都帝国大教授となった銅鐸研究の第一人者・梅原末治さんが同館を訪れて調査記録を残したが、33年に研究誌で紹介されたのを最後に、所在が分からなくなっていた。
 東京国立博物館から連絡があったのは、2021年9月。近年、新たに公開された文献を調査した結果、同館が保管する来歴不明文化財の一つが内間銅鐸である可能性が浮上。同郷土博物館が持つ拓本や資料を突き合わせて間違いないと判断し、所有者の元で活用してほしいと、今年3月に返還された。
 大山館長は「これだけ長く所在が分からなかったものが、戻ってきたことに驚いている」とコメント。その上で「弥生時代の畿内との交流の様子や、影響の波及状況を知ることができる貴重な資料。しっかりと研究を進めたい」と述べた。
 県内での出土品とされる銅鐸で現在、実物を確認できるものは14点。このうち、「我拝師山銅鐸」の1点が県立ミュージアム(高松市)で一般公開されている。返還を受けて同郷土博物館で10月1日~3月22日、展覧会「讃岐の銅鐸」を開催し、内間銅鐸の実物のほか資料や他の銅鐸の拓本などを展示する。入館無料。問い合わせは同館0877-46-2275。

(四国新聞・2023/09/29掲載)


鎌田共済会郷土博物館



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