香川県仲多度郡琴平町出身の画家で、漫画家や小説家などマルチな才能を発揮した和田邦坊(1899~1992年)に知られざる弟子がいたことが、邦坊の作品を多く管理する灸まん美術館(善通寺市)の調査で分かった。邦坊が東京を拠点にしていた頃、漫画家を目指していた青年で、「邦輔(くにすけ)」と名乗っていた。写真や文章などの裏付け資料が見つかっており、邦坊の新たな一面をうかがい知ることができる。


邦坊(右)と並ぶ邦輔(灸まん美術館提供)

邦坊(右)と並ぶ邦輔(灸まん美術館提供)


 確認された弟子は、秋田県出身の三浦勇太郎氏(1910~84年)。10代の時に、時事漫画家として知られていた邦坊と出会ったとみられ、住み込みの書生として支えた。邦坊の帰郷後は「紙三馬(かみさま)」と改名し、漫画や挿絵画家、編集者で活躍した。
 今年3月、千葉県在住の邦輔の遺族が同館を訪れ、邦輔が邦坊の弟子だったとして遺品の寄贈を希望。西谷美紀学芸員が調べたところ、28年の新聞連載で使われた邦坊の写真の現物が含まれていた。邦坊が描いた邦輔の似顔絵や、2人が親しそうに並んだ写真、邦坊が贈った自分の木版画などもあった。


邦坊が描いた邦輔の似顔絵(灸まん美術館提供)

邦坊が描いた邦輔の似顔絵(灸まん美術館提供)


 また36年発表の邦坊の随筆「僕、女房、書生、猫」には、「ウチにゐる邦輔」との記述があったが、この「邦輔」が書生を指すことが裏付けられた。一方、新たに確認された邦輔の随筆には、邦坊からアドバイスを受けたとの記述があることも分かった。これらの資料や遺族の証言から、邦坊を慕う人は数多くいたが、とりわけ近しい存在だったと判断した。
 西谷学芸員は「邦坊は帰郷後、東京時代の話を一切しなかったため、今まで存在が分からなかったのだろう」と推測。しかし年賀状や作品を贈り、(邦輔が持っていたのと同じ)2人並んだ写真を邦坊も持っていたことから、「帰郷後も親しくし、弟のように大事に思っていたのではないか」と話している。
 同館では11月13日まで、特別展「邦坊青春グラフティー」を開催、邦輔の遺品も展示している。入館料は一般500円。火、水曜休館。

(四国新聞・2023/10/22掲載)


灸まん美術館



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