史跡高松城跡・桜御門 香川県高松市玉藻町 創建時の雰囲気を今に 伝統的工法で77年ぶり復元
昨年、復元された史跡高松城跡・玉藻公園(香川県高松市玉藻町)の「桜御門」。江戸時代の城の景観を取り戻そうと、1945年の高松空襲で焼失してから約80年の歳月を経て生まれ変わった。城跡の新たな「顔」を見てみようと、同公園を訪れた。
桜御門は披雲閣の正門に当たる櫓(やぐら)門で、最も古い記録では、1627年に記された「寛永四年高松城図」に描かれており、敵の侵入を防ぐ役割を果たしていたという。明治時代に入ると、天守をはじめとする多くの建造物は老朽化のため解体されたものの、桜御門は月見櫓などとともに残された。旧国宝(現在の重要文化財)指定が内定していたが、1945年7月に高松空襲で焼かれ、石垣だけが残されていた。
復元に当たっては、設計図や模型が残されていなかったため、古写真と発掘調査、焼失前に門を出入りした経験のある人への聞き取りなどを基に作業を進めた。調査では当時使われていた瓦やしっくいなどの情報が得られたほか、門が江戸時代に複数回改修されていたことが判明した。
経年劣化と空襲による傷みが激しかった石垣は、積み直しが行われた。文化財的価値を守るため加工や接着、補強などを施して、できるだけ石を再利用しており、現在も空襲の際の熱によって赤く変色した石が所々で見られる。
工事は2021年4月に本格的にスタート。多くの職人の手によって、くぎなどの金物を使わずに柱や梁(はり)を組み立てていく伝統的な工法で整備が進められ、昨年6月に完成した。同公園管理事務所の岡一洋所長(62)は工事について「まるで芸術品を制作しているかのようだった。職人の技が詰まっていると感じた」と振り返る。
桜御門は、幅約12メートル、奥行き約5メートル、高さ約9メートル。外壁は黒い下見板張りや白いしっくいで仕上げ、瓦屋根の頂には古写真を基に製作したしゃちほこを設置している。焼失前に写された鮮明な写真と見比べると、建物の外観はもちろん、石垣の積み方までもが詳細に再現されていることが分かる。
門の内部にある資料展示スペースは土日祝日に公開されている。工事に使用した木材、しゃちほこの型などが並んでいるほか、上から敵に石を落とすための隙間「石落とし」もあり、創建時の雰囲気が伝わってくる。
桜御門が焼失し復元されるまでの歩みを知り一層、その面構えから堂々とした存在感を感じた。城のメインである天守の復元への機運も高まっているそうだ。今後も城跡の変化に注目したい。
(四国新聞・2023/11/11掲載)