大野原古墳群 観音寺市大野原町 地域の暮らしに根ざした存在 豪族の権力しのぶ 祭りでちょうさ奉納
椀貸塚(わんかしづか)古墳、平塚(ひらづか)古墳、角塚(かくづか)古墳からなる国指定の史跡「大野原古墳群」(観音寺市大野原町)は、それぞれ四国最大級の横穴式石室を内包する古墳群。6世紀後葉から7世紀の半世紀あまりの間に、狭い地域の中に築造された例は全国的にも珍しい。中でも平塚古墳は、神社の御旅所となるなど、地元の人たちの暮らしに密着した存在だ。
平塚古墳は直径50・2メートルの県内最大の円墳。石室の下層部には入念な基礎工事が施されているそうだ。古墳の上部には石垣が積まれ大野原八幡神社の御旅所が設けられている。
10月20日、大野原八幡神社の祭りに足を運んだ。14:00すぎ、平塚古墳やすぐ隣にある大野原中央公園周辺にはだんじりやちょうさ(太鼓台)が集合していた。まず初めに「一番だんじり」と呼ばれる1台のだんじりが円墳を上がる。「口説き」と呼ばれる歌のようなものが流れる中、だんじりの前方では若者数人が円陣を組んでぐるぐる回るのが習わしだという。
だんじりが円墳を下りた後は、「一番太鼓」と呼ばれるちょうさが奉納される。大勢の男たちが華やかなちょうさをかつぎ、勇壮に頭上に差し上げる場面も。ちょうさと古墳という意外な組み合わせは、唯一無二のものだろう。
大野原中央公園の北側には県内最大級の方墳である角塚古墳がある。大きさは41・7×37・8メートル。石室の天井石などには花こう岩が使われているという。
そこから歩いて数分、三つの古墳のうち最も古い6世紀後葉に築造された椀貸塚古墳は、何と同神社の境内にあり、神聖なものとして大切にされてきたことが分かる。直径37・2メートル、墳丘の高さ9メートルで、玄室の床面積は6世紀代では国内トップクラスだ。
これらの古墳群は、今から約1400年前、厩戸皇子(聖徳太子)や推古天皇、蘇我馬子、中大兄皇子、中臣鎌足らが活躍したのと同時代に築造されている。これだけの大きな古墳を作ったこの土地の豪族の力には感服せざるを得ない。
(四国新聞・2019/11/5掲載)
大野原古墳群
所在地 | 香川県観音寺市大野原町大野原1913 |
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